過去の記事一覧

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■MUSIC益田最古のビッグバンド(7月28日)

■海へいこう飯浦の「人形岩」、小浜の奇岩を見にいく(7月16日)

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■沼のある風景(7月14日)

■益田の駅 全部訪ねてみたでね(7月14日)

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■輪をくぐって夏の無事を祈願(6月30日)

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さんらいず探検隊が益田市内を気ままにレポート。
散歩がてらに眺めた街の様子です。




もう一つの高津川 高津川「派川」


@高津川下流方向

@高津川から派川へ

@派川より高津川方向

@派川、内田方向
※写真の番号は下の私製の図の地点を示したものです。

 益田住んでいても、実は知らない益田の顔がある。
とくに、自分の住んでいる地域を外れるとそのことは顕著だ。
車で通り過ぎるだけで、そこがどんな場所なのか気付かないことって以外とある。

 今回の高津川「派川」なるものがそれだった。
飯田から「せせらぎ広場」前を通り、虫追へ行く道はよく利用していたが、その周辺の地理について考えてみたこともなかった。
たまたま自転車で散歩していて、こんなものがあったのか、と驚いた。


 いろんな支流が集まる高津川。川の合流点はいくつもあるが、ある地点から奇妙な川が迂回しているのを発見した。(といっても地元の人にとっては当たり前のことなんだろうけど・・・)飯田から虫追に抜ける途中から、内田へと川が迂回しているのだ。何度もその場所は通ったこともあるが、別に気に止めたことは一度もなかった。付近の「せせらぎ広場」に立ち寄ると、その理由がバッチシ書いてあった。


A派川内田方向

B白上川、上流方向

B白上川(左)と派川(右)の合流地点

C飯田の白上川(手前)と高津川(奥)の合流地点

 高津川「派川」とは・・・
「この派川は、津和野藩(亀井家)が江戸時代の元和年間から寛永年間(1600年代)に新しく川を作ったと言われています。

当時の高津川下流は(中島町)浜田藩領内にあり自由に通行できず不便をきたしていたので産業の興隆、物資の輸出入を容易にするために領内(現在の高津町)に新しい港を造る必用にせまられた。そのためには川の流れを変えなければならず、内田のライコウを堀切、飯田の西側を通って辻宮裏の名越で水はね工事を行い古川(現在の商業団地)に向けて流入させた。ライコウの堀切は藩をあげての大工事であったことが想像せられる。

これにより飯田、内田、虫追は畑続きであったものが大川の向こうに内田、虫追があるようになった。(中西町誌より抜粋)」※「せせらぎ広場」内の立て看板そのまま。


私製の図

「せせらぎ広場」看板

 文章で説明してもわかりにくいと思うので、私の作成した図を見てください。図のとおり、高津川が一度白上川に分かれ、その白上川が高津川に合流する形になっているのです。

 ま、だからどうなのよ・・・と言われればなんてことないけど、不思議な地形だと思いませんか?私は一人、これは大発見!と盛り上がっているのですよ!!!地元の方はなんてことないと思いますが、結構知らない人多いのでは。これもまた、高津川の顔なのですよね。

D飯田より白上川(左)と高津川(右)が合流
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