過去の記事一覧

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■益田の夕陽を自慢しよう!(6月23日)


■「食育」からはじめよう!(6月23日)

■つり橋ウォッチング in 益田(6月19日)

■益田の街の眺めレポート(6月17日)

■草との闘いの日々(6月12日)

■珍種のトンボ「八丁トンボ」 益田にも生息(6月12日)

■青果市場のセリ風景〜地場野菜から益田を知ろう!(6月9日)

■益田の熱い夜/益田の音楽事情ロック、ポップス編(6月1日)

■アンダーグラウンド/果たして益田に地下道はあるのか?(5月31日)

■田植えを終えた水田は今、益田の田園風景(5月29日)


■アムスメロン成長記/メイキング オブ メロン(第6回)メロンの出荷はじまる。(5月28日)

■「開パイ」の麦秋 ここは益田の「北海道」(5月26日)

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■霧の真砂 益田の幻想的な夕暮れ(5月23日)

■高津川の河口どうなってるの?(5月15日)


■アムスメロン成長記/メイキング オブ メロン(第5回)いつのまにかこんなに・・・(5月13日)

■田植えの季節到来どーんとまとめて益田の田植え風景(5月13日)


■自転車でいこう益田川川土手下り(5月9日)



さんらいず探検隊が益田市内を気ままにレポート。
散歩がてらに眺めた街の様子です。




学徒動員の思い出を偲ぶ同窓会「大道山に集う!」


うめーや! 軍歌、校歌の合唱 独唱! 地元婦人会の方もいっしょに

 昭和20年終戦の年、旧制津和野中学(現津和野高校)に入学した12歳から13歳の少年たちは、入学してすぐに学徒動員され、約120名が益田市の大道山山系での砲台構築作業や小浜海岸の塩田作業に従事しました。そして 59年の歳月が過ぎた今、御年71歳から73歳。その時の記憶をたどりながら思い出をしのぼうと、6月27日「大道山の集い」と名打った会が中垣内町「さーら打歌」(旧中西小学校中垣内分校)で開催され、再会を喜び合いました。


大道山と学徒動員


 昭和20年太平洋戦争も終戦間近、米軍の日本海側上陸による本土決戦を想定し、大国部隊はこの石見にも駐屯しました。大道山にもその一部が派遣され、大道山山系中腹に砲を据える洞窟を掘る作業が行われたました。米軍が川登や美濃地方面を通過するとき、それに向かって射撃するための砲台づくり。

 学徒動員は6月はじめから8月終戦間際までつづき、親元を離れ中西小学校での合宿生活。地元の婦人会の人たちによる炊き出しによる食事。おいしくても時代が時代、空腹を満たしてくれるほどの量はありません。ただ山ではたくさんの山桃が実っていて、それが格好のおやつだったようです。

 毎日宿泊先の中西小学校から軍歌を歌いながら行進し、兵隊が待機している中垣内分校に集合。そこから各作業場に散っていくのです。
とにかく「空腹」。足元は「ぞうり」。小さな身体で、身長の倍以上もある製材したばかりの松の生木を、2人一組で担いで山を登るのです。どれほど苦しかったことでしょう。

ユニークかつ壮大な同窓会が実現
3日前実行委員会の方が下見中 さーら打歌、なつかしい山並み 黒板には資料がたくさん展示 大内さんの挨拶

そこにはそれなりの経緯があるようです。ことの発端は、平成8年、同窓生の中の登山愛好家11人が大道山山系中腹の洞穴の跡探しを開始。しかし見つからず。翌年3名で再度探索したところ、ついに遺構発見。この噂は同窓生に広まり、平成14年の同窓会では「次は益田、大道山で往時を偲ぼう」ということになったのです。翌15年5月「大道山の集い実行委員会」が発足、実現に向けて準備をしながら、回想録「大道山」という冊子も発行しています。
回想録に目を通すと、何か戦時中を描いたモノクロ映画のワンシーンを見ているような気がしてきます。でもこれは現実にあったこと、それもこんな身近で。
「ひもじさ」と「過酷な労働」そして大豆めし、山桃、下痢、蚤、漆のかぶれ、白上川での行水・・・苦しそうでもありおかしくもあり、戦争末期の物悲しさをも感じます。でもその中になにかしら、あっけらかんとした純真無垢な子供たちが時代に翻弄されながらも、助け合い励ましあって精一杯生きている姿が想像でき、その時代なりの「あっぱれ青春」を見て取れます。

39名の同窓生が再会した「大道山の集い」。出発時は雨模様でしたが、小浜海岸、中西小学校から川登、大道山の麓の中垣内をぐるっとまわり、「さーら打歌」到着時には、雨もやみ大道山稜線もくっきり。校庭でその山並みを感慨深そうに見上げています。そろそろタイムスリップしてきたのでしょうか。再度外に出て散策する人たちもいます。
「道路や家屋は変わったが、大道山の山なみは昔のままだ!」

屋内の黒板には地図や遺構探索の写真などが貼られ、軍服、軍用靴、ゲートル、帽子などが陳列されて、実行委員会の方の尽力とアイデアがうかがえます。
上級生が恐くて、出会った時は敬礼!・・・
安富から渡し船で高津川を渡った・・・
みんな「肥後の守」という折畳み式のナイフを持っていて、マムシをきりさいたり、箸をつくったり、こえさえありゃー何でもできたよ・・・
「語らずにはいられない」思い出が口々に出てきます。

なつかしき山桃、高級デザート 軍用靴 そがーな巻き方じゃーだめじゃ!
敬礼!

 場内が急ににぎやかになったのは、やはり食事。地元の婦人会の方たちによって、当時の料理がテーブルいっぱいに再現されました。大豆めしや麦飯のおにぎり、すいとん、切り干し大根、蒸し馬鈴薯、などなど・・・

「おばちゃん、こりゃーうますぎらーね!」

 うれしそうに談笑しながらの食事。うますぎるのは地元の方のおもてなしの気持ちがあったから。再現にこだわって釜で炊いたという大豆めしの「オコゲ」もありました。

 大豆めしはびっくりするくらい美味なヘルシー料理に思えましたが、当時のものは、名前通り大豆だらけのごはん。消化不良で下痢ばかりしていたそうです。

そして、締めくくりは軍歌と校歌の合唱です。
「万朶の桜か襟の色・・・」
「手を組み合いて 語らいし 友をいつしか 別れなん・・・」
腕を上下に振りながら、顔を紅潮させて歌う姿。
そこにはまさしくセピア色の「39人の少年たち」がいました。

思い出に花が咲く 中垣内の森を散策
当時の食事が再現され、歓喜
大豆めし!(おにぎり)
うますぎる!
いっぱいくーぞ!


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