赤瓦を愛でる
石見空港が開港時、スチュワーデスが、石見空港へのフライトの印象として挙げていたのが、赤瓦。地上に降下していくとき、赤瓦の家々が目に入り、とても美しく、珍しい光景だと感じたという。
私たち益田で生まれ育った者は、赤瓦を当然の景観だと受け止め、別に気にもとめない。現代的なマイホームでの暮らしにあこがれる人にとっては、もしかしたら嫌悪の対象かもしれない。いや、嫌悪という感情を持つまでもなく、この地方古来の建築様式において、瓦が赤いことが主流であるということなど、関心の範疇にもないのかもしれない。
時折旅人が赤瓦の町並みを見て、ひなびた趣について感慨を述べたとき、ああ、本当にそんなこともあったものだと、あらためて瓦を仰ぎ見るのが、我々ここに住まう者の常だ。
例えば石見出身の作家、田畑修一郎は赤瓦についてこう書いている。
「色に艶と頑固さを具えた石見赤瓦は、古い文化を感じさせるか、といふとさうではない。たとへば、支那大陸でつかはれてゐる青や黄の釉薬のかかった宮殿や廟の瓦が感じさせるような、蒼古な、深い味ひのものではない。全然別物だ。しかし、美しいことに変わりはない。ただ、いかにも田舎びた、単純な味のものであって、私はそこに、ほかのどことも異なる「石見」を最も深く感じるのだ。(「出雲・石見」より)」
実に、田畑らしい言い回しだ。赤瓦こそ石見であるという感慨。例えば赤瓦の町並みだけなら全国各地にある。しかし田畑は、石見赤瓦には、ほかのどことも異なる「石見」を深く感じるという。
そうだ!そんな視点で街に出て、もう一度我が街の赤瓦を見直してみよう。空や海の青に映えた赤瓦の家々が、静かに佇んでいるのを旅人の目で眺めてみよう。我が街益田がまるで南欧のワンダーランドのように見えてきませんか? |